天然材料と人工材料

 山の絵を描くとき、日本では山に緑を塗る子供が多いのに、外国では土色に塗る子供が多いという。

 考えて見ると日本人は、緑に囲まれて育った民族であった。それは北から南に細長くつながっている国土が豊富な森林に覆われていたためである。

 そうした風土のなかで、私たち祖先はこの世に三霊神がいて、その神が住む土地の山川草木には、霊魂が与えられていると信じていた。このような樹木を信仰の対象にする受け取り方は、木が伐られて材木になった後も引き継がれる。「お礼様」というのはその代表的なもので、あの白木の肌に精霊を感じているのである。

 われわれは機械文明を象徴する自動車の中に、木片のお礼様が祭られている矛盾を笑うが、それはついこの間まで、敷地の中に御神木を祭っていた屋敷林の伝統の縮図だと考えれば納得できることである。

 日本人の心の中では、立ち木と材木とは切れ目なしにつながっているのである。

 私たちは長い間、木綿と木の中で暮らしてきた、だが明治以降それらを捨てて、新しいもの新しいものへと人工材料を追いかけてきた。それは天然材料よりも、人工材料の方が優れていると信じたからであった。

 だが今、明治百余年の体験を経て、鉄は万能ではないし、コンクリートは永久な材料ではないことがようやく分かってきた。それは木を見直そうという動きを生んだのであるが、それよりももっと大きな理由は、鉄やコンクリートには人の心をひきつける何かが欠けていることに気がついたからであった。

 木綿や木に囲まれていると、私たちは何か心の和むを覚える。それはこれらの材料がかつては生き物であつて、その生命のぬくもりが人肌に体温を伝えてくれるからである。

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木の話

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